いまいひと物語
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という伝統をつくり、n負けない“試練編ll昭和13年~昭和32年・36次の時代ヘ。全焼した工場の跡で培ったものは・・・。今井産業の歴史は、災害との戦いの側面を持っている。水害、大雪、火災:・。しかし、その都度不死鳥のごとく立ち直る。あるいは、それをパネに体質を強化し、業績をのばしていく。その秘密は、創業時から変わらなかった、商いの心「信用と信頼」のもたらしたものではなかったか:・。ワイヤーによる山からの荷降ろし、馬による牽引、筏(いかだ)を組んで川での流し道路整備が充分でない時代、伐採した木材の運搬はJllを利用して行われた。会社組織に改編した年に襲った工場全焼という災難。このとき実感したN信用H。戦争中の統制経済時代を経過し、それが解除されて、昭和幻年に再び個人会社としての木材業を開始した。戦後復興の足音とともに木材需要は大きくなり、売上げの伸び、販路拡大のために庄之助は組織変更を決意するに至る。製材業再開3年後の昭和M年に、「今井産業有限会社」を設立。資本金136万円の法人組織であった。統制経済下、巴智郡の木材会祉を統合してつくられた「邑智木材」の専務として腕をふるった庄之助の経験が、新しい器の中で生かされるはずのスタートだった。それが、同じ昭和M年のロ月、原因不明の出火により製材工場が全焼したのであザQ普通なら存続も危うい状況だったが、このとき、救い会長夫妻を囲んでのワンスナyプ。右に久祥社長夫妻、左端に花木専務の顔が見える。日百平日39年t頁。
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