いまいひと物語
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増資に次ぐ増資。より大きなパワ!で、地域の企業と信頼の粋を広げるという考え方。昭和幼年(1973年)のオイルショックに端を発した経済界、産業界の混乱の後、縮小傾向の時の流れにあって、今井産業はほぼ順調に業績を伸ばしている。そこには、内部体質の強化とともに積極的な事業展開を目指したことだ。成長編11昭和48年~|昭和59年ー66経営体質の強化のために、増資。2 企業内容を一亦す基準の一つと言われる資本金の推移で見てみよう。昭和刊年(1975年)にそれまで4800万円だったものを5000万円に増資。同じ年、今井住宅工業株式会社を合併して、6600万円に。わずか2年後の昭和臼年に7500万円に。すぐ翌年には8100万円とし、さらに4年後の昭和町年に9800万円へと増資したという具合だ。(平成凶年3月現在は2億円)また後に、島根県下では二番目という私募債を発行したのも、今井産業の実力を認めた山陰合同銀行の強力なバックアップによるものだった。経営体質は、こうした内なる力の確保増強によって、順調に高まっていったのだった。高レベルの各種専門技術を増やす。これからの産業社会において、技術や施工ノウハウの専門化、高度化は企業の成り立ちの部分に係わると言われる。今井産業は、昭和臼年(1958年)に建設大臣登録で建設業を開始して以来、つねにそうした道を進んできたと言える。間和灯年の土木、建築、舗装業(建設大臣許可。以下許可と表示)、昭和日年の造園、

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