いまいひと物語
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今井産業の基礎を支えた人今井産業の躍進の陰には、多くの「今井人間jがいた。今井産業のために、心身を捧げた人々だ。真面目、ひたすら、正直、勤勉、そして男らしさ…。私たちは、そんな先人たちのことを忘れてはならない。※今井久人社長をはじめ今井産業役員、OBの話を集めて編集しました。戸板に乗って指揮をとった真面目豪傑・・・。辻亮良太郎さん元監査役。製材工場の最初の工場長。山をめぐり歩き、ディーゼル発動機を使って製材するいわゆる「移動製材」から、本格的な固定の製材工場を川戸につくったときの総責任者。大阪の出身。仕事の責任感の強さには定評のある人で、あるとき、病気にかかり家で寝ていたのを、仕事のことで気掛かりなことがあり、製材工場の若い人516人を呼んで戸板に乗せさせ、事務所に入って指揮をとったという伝説の持ち主。一方、料理が得意で、大阪から検品に来た役人を、自分の手料理でもてなしたというエピソードもある。「真面目」の上に「・・・」という字が付く・・・。西谷休治郎さん製材工場の三代田工場長。(二代目リ山藤郡一、四代目H坂本重定専務)真面目な今井の人々の中でも別格と言われ、「真面目」という形容詞の上に「・・・」を付けて呼ばれた。後進に対する教育にも熱心で、坂本専務など木材畑のスタッフは多くこの人の教えを受けてきた。大阪方面ヘ枕木を送った時代、買い付けの責任者でもあった。7尺から9尺(幻miUm)の長さがある、しかも粟の重い枕木を貨車に一人で積み込む際、ひょいとかつぐテクニックは他の者にはなかなか真似ができなかった。今井一筋の、謹厳実直な仕事人生を貫いた人の一人。気はやさしくて力持ち。今井熊之助さん元常務取締役。創業者・今井庄之助会長の実弟。名前のいかっさに似て、恰幅がありごつい身体の人だった。しかし、心のやさしい人で、また会長に似て正義漢だったという。真面目な兄弟のゆえに、よく仕事の上で喧嘩があったといわれている。「後畑の川本営林署の官舎に泊まり込んで移動製材で枕木をつくっていた頃でしたね。地上数米(日)の高い木馬道の桟橋の上から、声をかけてくださった姿が目に浮かびます」(坂本専務)おだやかな性格、また、おもしろい人で、そのユーモアで仕事に疲れた周りの人々を元気づけたという。山林買い付けで地主からも信頼された・・・。吉岡丸一さん元専務取締役。カズコ夫人の実兄。会社設立時からの生え抜き。ハイカラさんでありながら、しかしおだやかな人柄だった。誠実さを買われて山の買い付けの責任者となり、厳しさゆえ、すべてのことに自ら顔を出した今井会長も、重要なその仕事のほとんどを任せたほどだった。ただ、今井会長の買い付けが、一本一本正確にチェックして行うやり方であるのに対し、吉岡丸一さんの買い付けは「ひと山なんぼという、いわゆる山師のやり方だった」(OB談)ため、ときどき意見が食い違うことがあったという。今井産業で最初にオートバイに乗った行動派。吉岡喜多雄さんカズコ夫人の実弟。吉岡丸一さんとの名コンビで、今井家を、身内的な感覚と行動で支えた人。古き佳きタイプの商売人で、腰の低い律儀な人として知られた。頭がよく、また行動力があり、今井産業で一番最初にオートバイに乗った新しがり屋昭和48年~llB利59{1;・74成長編

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