いまいひと物語
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豊かな自然と優しい人々の中に、活動的な拠点を築く。昭和ω年、本社ビル完成!高速交通と情報の速さによって、地域にいて都市部並みのハイテク機能の利用が可能になった。昭和ω年(1988年)創業ω周年を記念して竣工した今井産業の本社ビルは、最新のハイテク機能を備えた、時代の先端を行くものだった。屋建設の際も、この場所を移ることはなかった。一般的に、口世紀へ向けた青図の中には、交通の高速化、情報の快速化を背景に、田園地域への本社設置も夢見られてきたし、一部には電脳都市と呼ぶコンピュータ主導の田園型拠点の試みもすでにはじまっている(千葉県など)。今井産業でも、本社の移転問題については長期間にわたり議論がなされ、最終的には久祥社長の決断によって、本社機能のすべてを、日本海の海岸線から十数キロ山間部に入った田園に置いたのである。そして、いまもっとも新しい図式H都市部でなく、田園地帯に最新形の本社屋を置くこと。工場や研究所を人間環境の視点から田園地帯に置くことはよく行われてきた。しかし、本社の機能を置くことはめったに行われなかった。今井産業は、庄之助の金物業時代を除き、ほとんどの時期、ここ桜江町に拠点を置き、昭和ω年の新社飛躍編||昭和60年~平成10年ー84竣工なった本社ビルの玄関で記念撮影。決意と自信がみなぎった顔、顔、顔・・・。今考えてみると、時代のもっとも新しい考え方が、ここ桜江の地に実現したのであった。時代の水準を越えるインフラ、情報機能。竣工した本社ピルは、まず建物の美しさで話題になった。豊かな自然とゆかしい町の景観に
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